東日本大震災被災アーカイブズレスキュー活動

はじめに

国文学研究資料館は、2011年4月8日に北茨城方面の被災地を巡行し、4月26日・27日、庁舎の一部が津波被災した岩手県釜石市の被災状況の調査を実施しました。市役所の地下文書庫の行政文書が水損し、甚大な被害でした。被災地における自治体文書は、地域復興には欠かせない行政上の基礎資料であるとともに地域住民の記録であり、生きた証です。歴史資料としての公文書が消滅の危機に瀕していました。

瓦礫の中からの文書の救助・復旧の計画

被災後46日を経過した当時の釜石市は、まだライフラインの復旧もできず、乾燥作業などを行える状態ではありませんでした。文書の整理や保存についての専門的支援を必要としていました。釜石市の要請を受け、5月6日より作業を開始し、1年間の救助・復旧活動の計画を策定して進めてきました。
被災文書リストは7月13日に作成を終え、その被災文書検索のための電子化を2012年3 月までに完了しました。2012年4月には文書の活用が可能な状態とすることを目指しました。

文書庫奥の集蜜手動式の棚のファイル類の被災

市役所地下文書庫からの搬送・移動は、6 月10日に完了しました。その他の被災文書を加えた総量は、段ボール箱換算で1,000箱以上(20,000点超)です。津波で水没した文書の乾燥を重点的に実施しました。真水と違って海水の場合、カビが発生・増殖しないこともわかり、塩分濃度3.2~3.5%で発生が抑えられていました。電気・水が使用できない乾燥場所であり、脱塩のための水洗は、カビの増殖をまねく危険性が高く、適正な乾燥場所が確保できないので実施しないことにしました。

搬出・搬送・開梱・配置

瓦礫を撤去した後、書架ごとに番号を付け、現状記録(写真・スケッチ、棚ごとの概要)をとり、透明ビニール袋に詰め、200m離れた旧釜石第一中学校校舎の3~5階に搬送しました。水を含んだ文書は相当の重量であり、リヤカーでの搬送と階段を手持ちで持ち上げる作業は、過重労働でした。
搬送後、袋から開梱し、乾燥を促すように配置し、バインダーを立て、位置を変えながら、水損部分や綴部分を根気よく乾燥させていきました。

整形・乾燥・クリーニング

水損文書は、キッチンペーパーで新聞紙をくるんだ吸水紙(キッチンペーパー新聞サンド)を間紙にし、水分を吸着する作業を繰り返しました。表紙がカビ・泥がひどい場合は、ファイルを除去してキッチンペーパーで段ボールを包んだもの(キッチンペーパー段ボサンド)で挟んだ後、縦置きにして乾燥させます。乾燥状態を水分計で計測し、塩分・汚染物質の測定等を実施しつつ、泥・砂がさらさらととりやすくなったところで、小タワシ、スポンジ、マイクロクロス、刷毛の順に用いてクリーニング作業を行いました。

再生そして活用-新装幀・再編綴

乾燥してクリーニングを終えたファイルは、汚れた表紙を除いて、新たなガバットファイルで再装幀・再編綴します。再編綴された文書は、役所の各係において活用され始めました。